大江千里 (歌人) (OE no Chisato (poet))
大江 千里(おおえ の ちさと、男性、生没年不詳)は、平安時代前期の学者・歌人。
参議大江音人の子とされるが、音人の孫で大江玉淵の子とする説もある。
弟に大江千古がいる。
子には維明・維繁がいる。
正五位・兵部省。
中古三十六歌仙の一人。
経歴
大学寮で学んだ儒学者であるが、漢詩文はほとんど残っていない。
中務少丞・兵部少丞・兵部大丞などを歴任しているが、詳細な官歴については不明である。
宇多天皇の頃の歌合に参加、寛平6年(894年)宇多天皇の勅命により家集『句題和歌』(大江千里集)を撰集・献上している。
また、菅原是善と「貞観格式」を撰している。
和歌は儒家風で『白氏文集(はくしもんじゅう)』の詩句を和歌によって表現しようとしたところに特徴がある。
官歴
883年(元慶7年)11月11日、備中大掾に任官。
894年(寛平6年)4月25日、家集『句題和歌』を献上。
時に散位従五位上。
901年(延喜元年)3月15日、中務少丞に遷任。
902年(延喜2年)2月23日、兵部少丞に遷任。
903年(延喜3年)3月26日、兵部大丞に転任。
※この他、『句題和歌』の詞書から伊予権守や式部権大輔を歴任していたことが知られる。
歌人としての功績
『古今和歌集』の10首を始めとして、以降の勅撰和歌集に25首が入集している。
小倉百人一首
23番 月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど(「古今和歌集」秋上193)